夏時間のトルコに夜がやってくるのは遅い。イスタンブル行きの夜行列車は、まだ明るいうちにデニズリを出発した。
丘陵地帯を抜ける列車は刻々と進む向きを変えて、食堂車の窓には右から左から太陽が射し込む。みんないい顔をしている。
エーゲ海に近いこのあたりらしい日焼けしたおやじが、向こうの席からこっちを見ている。この太陽にいちばん似合う顔をしていた。
日曜日の午後、フェリーは島で遊んできた客でいっぱいだった。眠気が感染ってしまいそうな船室に座っているより、外に座っていた方が気持ちいい。
船縁のわずかなスペースに続く長いベンチに座り、ときどきカモメに餌をやる。イスタンブルのフェリーはこうでなくちゃいけない。
カモメにパンを投げる顔は小学生みたいに、みんな楽しそうだ。
トルコおやじは話が長い。日がな1日バックギャモンに興じつつ話を続けたり、客がきたといってはいちいちチャイの出前を頼んでわざわざ尻を長くさせているくらいだから、話し続けることにかけては職人芸的に技術が蓄積されている。
遠くからの客人となればなおさらで、この上ないほどに丁寧にもてなしつつ、話は続く。話がとぎれることはよくないことなのだ。こうなってくると身勝手なのか親切なのか、見境がつかなくなる。しかし、すっかり感染して長話をできるようになれば、こっちのものだ。
シャッターを切る直前、おやじはたばこを口元から離すことを忘れなかった。こういうさりげなく発揮されるサービス精神は見習いたいものだ。
ただでさえ話の長いところへ、アルコールが入るともう誰にも止められない。いつも飲むのは水を注ぐと白く濁る、国民酒のラクだ。「ライオンのミルク」というあだ名まで付けられた、愛すべき飲み物である。
人口のほとんどをイスラム教が占めているのに、なぜ国民酒なんてものがあるのか?そんな野暮な質問を思いつく輩は帰ってくれ。
呼び名は変わっても、ラクは地中海世界に共通する。何回目なのか分からなるほど続く乾杯もまた、地中海世界だ。
地中海を取り囲む人々や、その生活がそうであるように、トルコおやじにも、トルコ料理にも、ラクはよく似合う。