ガラタ橋の見えるエミノニュ桟橋には、サバサンドをはじめいろいろな露店がならんでいる。お得意さまはフェリーに乗り降りする人たちだ。
その場でつまめるものを売る露天商が多い中で、このおやじだけは鮮魚を商う。まわりの様子はずいぶん変わってしまっても、おやじはずっとここで商売を続けている。
サバサンドの船のとなりを見てみよう。地味だけれど、おやじは今日も黙々と魚をさばいている。
カメラをぶら下げて、ツーリストらしい格好をしているのに、魚を勧められてしまった。おいしそうだけれど、買って帰ったところで持てあますだけだ。
どう考えても買いそうにない客相手に、熱心に品物を勧めるさまは見ていておかしくなってしまう。その間にほかの客を捕まえろと...。写真を撮ろうとすると、あわてて陳列を整え始めた。
ようやくおやじのOKが出た。商売熱心なのではない。商売が好きなのだ。
ブルサの裏通りでは魅力的な瞬間がたくさん見つかる。人口100万人を越える大都会の、しかも目抜き通りのすぐ近くで。
おやじは加工した板材を採寸していた。わき目も振らず定規を当てている仕事ぶりを写真に収めようと、そっとカメラを取り出したのに、気づかれてしまった。
仕事に余裕があるのだと思う。そして、こんな職人仕事を生かし続けている街にも、やはり余裕がある。
19世紀の街並みが残っているサフランボル。街道筋からはずれて取り残されていたことのもたらした偶然。それだけ寂れていた。
そのサフランボルのさらにはずれの村で、トルコ風家屋のミニチュアを作る芸術家は作業をしていた。ようやくツーリストが訪れるようになったとはいえ、このころはまだささやかな変化が訪れただけだった。バスは朝早くに村を出て夕方帰ってくる。こんな村でツーリストを待つのは「待ちぼうけ」の気分だ。
サフランボルとこのあたりにも、もう一度明かりが射しはじめた。そのままでいてほしいという無責任で勝手な願望は、そろそろ捨てなければならないかもしれない。