アマスヤの砦は街のどこからでも見える。いつでも見えている高いところには登ってみたくなる。
ところが意外に難しい。どこが砦に向かう道の入り口なのか、さっぱりわからない。見当がつかずにいるうちに、悪ガキ3人組に身柄を拘束された。
ガイドになったつもりの3人組は「秘密の近道」を何カ所も通って、最短距離で砦のてっぺんに案内してくれた。ジャンパーもズボンも枯れ草だらけになった。
サフランボルのバザールは土曜日の朝だ。19世紀の街並みの残るサフランボルでも、バザールの雰囲気が昔といちばん変わっていないとしわくちゃになった老人に教えられ、2日滞在を延ばした。
小雨まじりのその朝、宿を出て広場に向かう。いつもがらんとしていた広場いっぱいに露店がならべらている。今日の街の様子はまったく違う。狭いサフランボルの旧市街で、道を間違えてしまう。
なにげにく、それでいて芸術的に広げられた野菜の向こうと目があった。翌年の夏、写真を届けると、旅の途中では食べきれないほどの果物をおみやげに持たせてくれた。
アナトリアは遺跡だらけた。幸運なことに、大半の遺跡は観光産業の手に掛かって「見世物」にされることもなく、じっと昨日の続きを過ごしている。
人気のない劇場跡は崩れかかっていても声はよく反響する。客席を一気に駆け上がってみる。独り占めにできたと思っていた劇場には先客がいた。
こんなところで遊びながら育ったこどもたちに、10年後、20年後、もう一度会ってみたい。
トルコのこどもたちの人なつこさは不思議だ。ぼくがこどもだったころ、こんな人なつこさは見せられなかった。
この土地では大人もまた人なつこい。人をかまうのが楽しくてたまらないらしく、両替をした銀行の窓口で、自宅に招待されてしまうことさえ何度かあった。
人なつこい大人の「製造過程」を見ているのはやはり楽しい。今日も天井知らずに親切な「トルコのおばさん予備軍」を見つけた。