チャウダルヒサールの遺跡をめぐる散歩コースからはずれた通りに、この娘はいた。舗装されていないほこりっぽい通りに突き刺さる陽射しを避けるように、門のつくった影のはじでじっと通りを見つめている。
写真を撮ってよいか断ると、なにも言わずに少しだけ頷いてくれた。ここを去るまで彼女はそのまま身じろぎもせずにじっとしていた。
季節はずれのリゾート地ほど旅人が心地よく過ごせるところはない。水の冷たい季節のエーゲ海もそんな場所だ。
夏なら賑わうはずの桟橋はフェンスが閉じられている。サモス島に向かう船のエンジンがかかるのも週に1、2回しかない。
鍵のかかっていない桟橋のフェンスの端が少しだけ開いていた。
乗り物に乗る前は慌ただしい。乗り物が速ければ速いほど、慌ただしさも加速する。
イスタンブルの高速船は普通のフェリーより2倍速い。船の速さだけでなく、料金も、桟橋の忙しさも、やはり2倍になる。
それでもこどもだけは、いつもと変わらない倍率で世の中を見ている。そしてめずらしい外人をめざとく見つけた。
街はずれの城跡に向かう1本道を歩くのはもっぱら外人ツーリストだけだ。人数も決して多くはない。
1本道のまん中あたりでは、アララット山がみごとに望める。どこからだって見えそうなものだけれど、1本道のうち、100メートルばかりしかないこの場所からが抜きん出て美しい。
彼女たちは通りかかる外人ツーリストに写真を撮らせる「業」を営んでいた。絵になるカットをものにして再び歩き始めるツーリストに、モデル料を請求する。子供扱いは失礼だ。
トルコの街には靴磨きが多い。大人の靴磨きは色とりどりのクリームが入った瓶や、幅2メートルに届きそうなくらい大きな道具一式をいつも決まった場所に広げる。
この世界にも「縄張り」があるらしい。参入したてのこどもの靴磨きには、いつもの場所も、いつもの客もいない。道具もささやかだ。
飾り気のない小さな道具を肩に掛けて、子供の靴磨きはせまい通りを身軽に飛び回っている。