遺跡には食傷気味だった。シリアの旅も、期待していたのはバザールや、ひとびとの生活だ。タドモール-パルミラのある街-には、余興のつもりで立ち寄った。しかし、美しかった。
遺跡を構成するひとつひとつの「部品」に、取り立てて珍しさはない。地中海世界ならどこにでもある、ごくありきたりな遺跡と、なんら変わらない。
それでいて、なんでもよく見えてしまうから不思議だ。光の差し具合や石材の変色の加減、遺跡らしさを強調する朽ち果てぶりが、パルミラの価値を高めている。
季節にも助けられた。春先はシリアの旅にもっとも適している。炎天下の真夏だったら、アラブ城のある丘は、うんと遠くに見えたに違いない。
男が3人、ならんで座っている。ただ座っているだけで、会話もとぎれとぎれだ。観光地ならよくいる「客引き」かと思ったが、そうではなかった。
同じように石材に腰を下ろしてみて、ようやく分かった。ここに座っているだけで、心地よい気分になれるということだ。
これほどきれいな影を見せてくれる遺跡はほかにない。砂がちで、足下がおぼつかない坂道を、アラブ城まで一気に駆け上がってみた。砂のこすれる音が聞こえてくる。
タドモールの街のささやかな緑色は、離れ小島のように見えた。きれいだけれど、人恋しい気分になった。もうすぐ太陽は沈む。