おんなじ道を行ったり来たりしているやつは危なっかしい。明後日の方向を見つめる虚ろな目をしていなくても、通りの反対側にそっと避けるべきだ。
しかしプラハのカレル橋を行ったり来たりしていたら、そいつはむしろ健康的だ。ここはプラハでもっとも陽のあたる、明るい観光名所でもある。
大道芸人が注ぎ込むちょっとばかりの怪しさを、夏の終わりの明るい太陽がかき混ぜている。
すべての大道芸人が流行っているわけではなくて、滅多に客の寄りつかない「店」もある。
緯度は高い。温帯の東京に比べれば、夏はプラハをほんの少しかすめるだけだ。それでも、ひと夏橋の上で商売を続けると、肌は銅色になる。
流行らない大道芸人ほど、日焼けしていることに気が付いた。もうすぐ短い夏も終わる。冬はどうやって過ごしているのだろう。
いくらかでも時間があれば、観光客はカレル橋の上を行ったり来たりする。
同じところをぐるぐる回るさまは、水族館の水槽を泳ぐ魚のようだ。大道芸人の前にときどきできる人だかりは、水槽に餌が投げ込まれたときの様子に似ている。
欄干に座って、タバコでも吸ってみるといい。4、5分間動かずに、橋の上を回遊する人々を眺めてみるといい。
橋の上では、おんなじところを行ったり来たりするよりもむしろ、じっと佇むことに「言い訳」がいる。
そういえば旅は、たとえ意味がないとしても、移動し続けることをやめてしまうと、旅でなくなってしまう。気楽なようでいて、案外窮屈だ。
おんなじような道を繰り返し通って、またプラハに来てしまう。この街は旅人のくせにじっと佇もうとする「言い訳」を許してくれるから、また来てしまう。