写真は創作物だ。文字通りに、いつも真実を写すと思っていると、痛い目に遭わされる。
切り抜かれたり、明るくされたり、暗くされたり、あるいはキャプションを付けられたりして、創作物はできあがってゆく。
どんなにリアルでも、永遠に日の目を見ない、いうことを聞かないカットもある。写りのよすぎる写真には要注意だ。
カレル橋の近くで、通りにならぶ家々から一軒だけを切り抜いてみた。もちろん、絵になりそうな一軒だ。
まあるい庇と木製の窓枠を、鉢植えが飾り付ける。夏の終わりの午後、暖かい日差しが差し込んだこのとき、みんながプラハに来たくなる写真ができた。
太陽が反対側から差し込む午前中には、こんな写真はできない。雨や曇りの日には影が消えて、冬の日には鉢植えが消える。
石造りの建物に挟まれた狭い通りを抜けて、旧市街広場に出た。昼間の映画館から出たときのように眩しい。
健康的な、夏のプラハがここにある。明るい陽の光にさらされた、絵はがきと同じプラハだ。観光名所を目指す人も、観光客を目指す人も、この広場にやってくる。
広場の端の日陰には、観光地らしい、ちょっとした胡散臭さが見え隠れしている。
旧市街広場に続く湿った通りと、太陽の角度が揃った。急激な明暗の変化に幻惑される。
プラハの街歩きはこの繰り返しだ。そして、土産話の肴になるカットは、長くは続かないこういう瞬間に撮られている。
嘘は吐いていないつもりだ。けれども、この光景が真実かどうかという問いに、決まった解は用意できない。