自動車の列が消えると、プラハの通りは絵本の中に迷い込んだようなヨーロッパの街になる。
古い街らしく、通りの表情はさまざまだ。古いのはどちらなのか分からないぐらいにトラムの線路が溶け込んだ通りが、建物に穿たれたアーチをくぐり抜ける。
気分がよくなって通りの真ん中を歩く。10秒もたたないうちに、歩道に追い払うクラクションが迫ってきた。
プラハはすっきりした空の写真をなかなか撮らせてくれない。トラムを走らすための架線が、空をがさつな賽の目に刻んでしまう。
それでいて、街並みが醜くなるなんてことはない。日本の街並みに電信柱が欠かせないのと同じように、トラムの架線はプラハの街に欠くことのできないアクセントだ。
カーブしたガラス窓に空を映しながら、赤とクリーム色のトラムが石畳を叩く。
金属の固まりなのに、どこか憎めない愛嬌のある表情をしている。ずんぐりむっくりの丸いボディは、東欧のおばさんたちにそっくりだ。
狙ったわけでなくても、赤とクリーム色の車体は、ありきたりの記念写真にさりげなく紛れこんでしまう。
プラハにやってきて、一度もずんぐりむっくりのトラムに揺られないとしたら、そいつは観光客として「潜り」だ。
トラムを作ることは、社会主義がこの街に与えた仕事のひとつだ。プラハ生まれの丸いトラムは、「タトラ」のブランドで遙か極東まで輸出されていた。
運良く故郷のプラハに留まったタトラは、デモの日も、戦車のやってきた日も、プラハの街にあるものすべてを、丸いガラスに映してきた。
社会主義が終わり、丸かったタトラも四角い新型に代替わりした。名前の由来になっていたタトラ山は別の国になってしまった。しかし、プラハで生まれたトラムの名前は今もタトラのままだ。