ひとことば

虎跳峡 暮らし

こんな断崖絶壁の隙間にも、人々は暮らしている。断崖に遮られて、日照時間はごく短い。このころはまだ、生活を成り立たせるだけの観光客もいなかった。

食料は容易に自給できない。現金収入を得ることはもっと難しい。山羊や羊が、元気のない緑色をしたわずかな植物を、ささやかな生活の糧に変換していた。


子供たちと一緒に、ぼくらも出発する。

急流をまたぐ丸木橋や、崩壊しそうな路肩にたじろぐ山羊や羊を、子供は情け容赦なく追い立てる。このわずかな土地で家畜を飼うには、子供らしい残酷さがもっとも適している。

ハイジやペーターがたくさんいる。ただ、この谷では、大人が創った物語ではきれいに消されてしまうであろう醜悪さも、しっかりと垣間見ることができてしまう。


何かが動いている。しかし、何が起きているのかは、なかなか飲み込めなかった。

目一杯の荷物を体中にくくりつけた馬が、崩れた岩を乗り越えられずに立ち往生していたのだ。荷物の重さによろめく馬も、拾った木の枝で馬を追う男も、一歩間違うと谷底に滑り落ちる。

危なっかしい。しかし、こうする以外に、暮らしを続ける方法はなかった。


崩れかかった、いや、実際にしばしば崩れる崖道を歩くよりほか、選択肢はなかった。人気のある観光地になった今は、道路の整備も進みつつある。

ささやかな人の暮らしが自然に間借りしていた美しい虎跳峡は、古い写真の中に閉じこめられようとしている。

しかし、美しい古い写真の世界は、20世紀の終わりとは思えない、過酷な暮らしと抱き合わせだった。戻れとは言えない。