外灘から少し歩くだけで、上海は下町になっていた。高い建物はわずかしかなくて、2、3階建ての家並みが続く。
街路樹も整えられていて、写真で見る限りは「絵になる」光景だ。ただ、古い住宅にベランダなんていう気の利いた設備は付いていない。
晴れた日の写真には、歩道に吊された紐にかけられて日光浴をする洗濯物が必ず写っている。
路地裏できれいに整備された上海号を見つけた。伝統的な中国製自動車のブランドも、フォルクスワーゲンのノックダウン・モデルに代替わりしつつあった。
新しい上海号は、ドイツではあまり評判の芳しくなかったモデルである。しかし、老獪な国々と渡り合うだけの腹黒さがこの国にはあるはずだ。
その後の上海の変わりぶりは、駆け引きに負けなかったことの証明かもしれない。あちこちに「手作り」の形跡が垣間見える、味わい深い上海号のボディーは消えた。
携帯電話なんて登場していない。電話の引かれた家庭もわずかだった。
電話と言えば、ところどころの路地裏に看板を掲げた「公用電話」だ。通話先の事情も似たり寄ったりだから、電話をかけてはじめに発する言葉は「お前は誰だ?」であった。
ひどい回線事情が会話のまどろっこしさに輪をかける。「公用電話」の路地、夕涼みに使う腰掛けは、一日中出しっぱなしになっている。中国は今よりもずっと広くて、下町は今よりもずっと狭かった。
竹材はしなやかだ。よく撓ることで信じられないぐらいの重みを受けとめてくれる。しかし、これはやりすぎだ。
人民解放軍が朝鮮戦争や中越戦争で敵軍を震撼させた「白兵戦術」の話を思い出した。難しい戦術ではない。圧倒的な兵員を縦列させて、敵軍に突っ込むだけだ。それでも「勝つ」ことは少なくなかったらしい。敵が精神的に参ってしまうからだ。
当然、兵力の消耗は大きい。要するに、どんどん殺される。先頭の兵員しか武器を携行していないという噂も、まことしやかに語られていたほどだ。人の命が重みを増すには、ずいぶんと時間がかかる。