「札束」-日本では悲しいことにお目にかかったことがない。ひと晩でいいから1000枚ほど枕元に置いてみたい。そんな夢をかなえてくれる国が、今まで訪れたなかで2つあった。
ひとつはベトナム。1992年当時のレートは1USドル=10,000ドンだったのだが、そのころ主に流通していたのは1000ドン札。100ドルの両替でお札1000枚。銀行、大きな商店などでは、ほかの電気製品はなくとも「札数え機」だけは普及していた。残念ながら最近では高額紙幣の発行がすすみ、札束を拝むことはできなくなってしまったようである。
もうひとつは、同じ年に訪れたザイールである。これははっきり言って衝撃的だった。まず、銀行へ行ったら「金がない」と言われてしまった。入国カードには一応「ヤミ両替をしてはいけません」と書かれていたので、素直に銀行へ行ったところ、このていたらくである(ホントは出国時用の両替証が欲しかっただけだが)。仕方がないので、銀行員に勧められるまま、となりの商店へ向かった。
訪問時のレートは1USドル=650,000ザイール。これはすごいことになるだろうという予想はつく。ベトナムのような「札数え機」などはなさそうだ。第一電気もたまにしかこない。とりあえずUS100ドルの両替を頼むことにした。
「どうするのだろう?」と思っていたところ、両替は簡単に済んだ。流通している紙幣は5万ザイール札が主流だったのだが、なんと、この国では5万ザイール札25枚を折りたたんだ「125万ザイール札束」、それを20組セットにし、ビニールひもで結んだ「2500万ザイール札束」などが、堂々と流通していたのである。かくして、US100ドル=65,000,000ザイールの両替は、「2500万ザイール札束」2つと、端数の「札束」少々を手渡され、あっけなく終わってしまった(写真参照)。
ベトナムでは高額紙幣の発行で札束が拝めなくなった。小市民のはかない夢を少しだけかなえてくれたザイールは、国自体が地図の上から消えた。「札束を拝む」-その夢をかなえる道のりは険しいのである。
あれからいろいろあったようだ。さんざん食事をごちそうしてくれたブカヴの「社長」。プレゼントした折り紙の鶴を「分解」してしまい、さびしい顔をしていたゴマのホテルのおねえさん。そして、ルワンダ難民の流入で行き場を失ったマウンテン・ゴリラの家族-ザイールにはいつか忘れ物を取りに行かなければ。