国が戦争をはじめても、人々は生き方を変えようとするわけではない。淡々と繰り返される今までの続きの方が、むしろ多い。
チェスの勝負を冷やかすことばには、少しだけ戦争の臭いがするようになったらしい。それでも前戦に行かないかぎり、目に入るのはいつもと同じ光景ばかりだ。
起きているのはこの国のはずだ。それでもベオグラードから見える戦争は、遠い日本から見える戦争と、同じくらいの大きさだった。
こざっぱりとしたベオグラードの街。無理のない、落ち着いた雰囲気がある。
頼りにしようとしたソ連にもあっさり見放されて、ひとりで生きてきた。今までの時間に、模倣ではないこの国らしい世界ができあがっていた。ソ連が崩れても、あたふたする必要はなかったはずだ。
通りで見かけるひとびとの服装も、華やかさはないが破綻なくまとまっている。鳥籠から飛びだしたカナリアのように狼狽える、まわりの国とは対照的だった。
小さな真っ白が視界に飛び込んできた。教会から出てくる花嫁だった。
結構式も、葬式も、戦争にはお構いなしに催される。飾り付けをした車に乗って新郎新婦がその場を去るまで、一部始終を見続けていた。
幸せそうな参列者と、そうでもない風の参列者がいるのは、なんとなくわかった。変える気のない生き方が、変わってしまうこともある。戦争がなくても、世の中そんなものだ。
外国との取引が制限されて、クレジットカードは使えなくなっていた。トラベラーズ・チェックもただの紙切れだ。
現金だけを頼りに旅を続けるのは心許ないが、憲兵や警官の多い街は安全だ。生半可な平和のなかにいる国よりも、旅はしやすい。空を見上げると、心地よく青かった。
違っているは、瘡蓋をめくってしまうと、一気に血が噴き出すことだ。