ひとことば

黒っぽい屋根瓦と赤みがかった壁の橋。ノンをかぶった女が渡ってゆく。

ホイアン ノン

この街には昔、「日本人町」があったそうだ。日本人の架けた小さな屋根付きの橋は、ちょっとした名物になっている。

橋の名前は「来遠橋」という。ここに暮らした日本人たちは、どんな思いで海を眺めていたのだろう。

ぼくがベトナムを訪ねたころは、日本に「エスニックブーム」がやってくる前だった。特別な思い入れのあるひとびとが、安くはないビザをようやく手に入れはじめた。


涼しい家の中から通りをのぞき見る。向こうからも、子供と通りがかりのノンをかぶった女性がのぞいている。

当人たちのあずかり知らぬところで盛り上がった戦争の終わり。そして、悲惨な映像すら伝えられる機会は減らされた。ベトナムは10年以上、手の届かないところになってしまった。

ホイアンの時間は、ハノイやサイゴンの喧噪とは無縁で、しっとりと流れる。古い街並みをぶらつくと、日本の宿場町を歩いているように呼吸が緩やかになる。

それでも日差しは遠慮会釈なく降りそそぐ。太陽と共に生きるために、ノン-円錐形の菅笠-は欠かせない。


大きなバケツを持ってきた女が、共同の井戸で水を汲む。やはりノンをかぶっている。

風に飛ばされないように、ノンには紐がくくりつけられている。古新聞を束ねるのに使う、安っぽいビニール紐とだいたい同じものだ。

そんな「ビニール紐」の色を変えることが、この少し前までベトナムの女の子の「おしゃれ」だった。

涼しい路地の井戸。三々五々、水を汲みにくる女の数だけ、ノンもやってくる。細い身体を覆うノンから、にこやかで、しっかりとした顔がこちらを見てゆく。


川に面した魚市場の昼下がり。仕事は一段落したが日差しは強く、ノンは必需品。

船だまりの主役もやはり、ノンをかぶっている。魚臭い小さな魚市場では、陽が高くなっても仕事が続く。

大漁というわけでもない水揚げの入ったカゴや、天日に干されたスルメの間を歩く。邪魔にならないよう、不審に思われないように。

みんな気が付いている。気が付いていても、なにもせず様子を見ている。この国のひとびとがずっとしてきたように。