ひとことば

仏像がちょこんと載った門柱の奥には高床式の住宅。

メーホンソンのあたり

チェンマイから飛行機に乗れば、30分でこの街に着いてしまう。眼下を埋め尽くしているはずの緑を眺める余裕もないフライトだ。

けれども飛行機は混んでいた。予約を取れなかったぼくは、8時間バスに揺られてやってきた。バスはいちばん高級なエアコン付きで、飲み物やお菓子も振る舞われる。

しかし、辺境の街への飛行機は政策的に安くされているらしく、料金には大差が無い。サービスの甲斐もなく、エアコン付きバスはガラガラだった。


リヤカーの屋台。

タイの地図のいちばん端っこにメーホンソンは記されている。住んでいる人だって、この街が辺境の地なことぐらいわかっている。ミャンマーとの国境もすぐそこだ。

こんな辺境の街でも、気持ちのよいぐあいに猥雑なのがタイらしい。文字にするのを憚られるような大音量の映画の宣伝が、バスを降りるやいなや耳に入ってきた。

ビニール袋で屋台のおかずを持ち帰るのも、ポリバケツを使っているのも、バイクや自動車に乗るのも、バンコクと同じだ。都会と同じようにしてなにが悪いんだ...そう言いたそうだった。


幾重にもなった和を首に巻いたおばさんの横顔。手首や足首にも金色の輪が...。

メーホンソンにやってきたわけは、「首長族」を見ること。白状してしまえば、そういうことだ。いかにものぞき見趣味的で、品がよいとは言えない。

村への道は雨期のせいでぬかるんでいるが、進路をふさぐような悪路ではない。バイクを借りてガイドを雇えば「首長族」はすぐそこだ。忘れていた。「首長族」の村に入るためには「入村料」が必要だ。

首を伸ばすための条件は厳しくて、首の長い女は「首長族」の村でも珍しい。なるほど同じ人の写真を何度も見かけるわけだ。

しかし...なぜか最近の写真では首の長い娘が増殖しているようだ。何が起きたんだろうか。


木造のモスク。2階で白い回教帽をかぶった男が礼拝している。

帰りも飛行機の席は取れなかった。チェンマイへの帰り道は、来たときと違う道路を走るバスにした。エアコンはないが、料金はそのぶん安い。

バスには文化人類学を専攻している大学生が乗り合わせていた。調査の帰りらしい。あか抜けないけれど、見るからに賢そうで、それでいてタイ人らしい淑やかさもあって、不思議な人だった。

この道路が戦時中日本によって建設されたこと、中国から逃れてきたイスラム教徒の住む村のことなど、話の尽きない旅になった。「首長族」を見てきたことは言い出せないまま、チェンマイに着いた。