その日も天気は良かった。アユタヤへ行こうと思いついた。
正確に言うと、思いついたのは「どこかへ行こう」ということだ。道のりを確かめながら交通機関を乗り継いでゆくことは、端から頭にない。クーラーのきいたワゴン車に座っているだけでよい、お気楽な日帰りツアーにするのは決まっていた。
バンコクの旅行会社のカウンターで、最初に目にとまったポスターがアユタヤだった。
アユタヤに何があるのかはよく知らない。しかしともかく、外国人ばかり10人を乗せたワゴン車は、バンコクの渋滞路をのろのろ進みはじめた。
こういうツアーではよくあるように、客の大半はもとからの連れどうしだ。オーストラリア人の女の子とぼくが「端数」になった。
相客たちそれぞれの関係にあわせるように、端数も必然的に、親しい関係になる。今日はついている。
南の国とは思えない職務熱心なガイドが、懇切丁寧に解説をしてくれる。しかし、この地の歴史に熱心な関心を抱く客はひとりもいない。
ただひとりの東洋人であるぼくは、助け船を求めるアジア的な視線が向けられるたび、「サクラ」紛いの質問をした。接近しつつある端数の関係に邪魔が入る。
しかし、ツアーはよくできていた。小難しい史跡解説でお気楽な観光客が疲れ切ってしまうことを避ける工夫が凝らされている。みずみずしいメナム川に説明はいらない。
いつのまにか日本の商店街から消えてしまったミゼットがいる。工業製品の値打ちが高かった時代、三輪車はあちこちの国で活躍していた。
四輪や二輪は今も活躍を続けているが、三輪だけはなぜか消えてしまった。豊かさの中で三輪は少なすぎて、貧しさの中で三輪は多すぎる。
これからネパールへ行くことになっている。彼女も誘い出そうとしたが、この企みには失敗した。何かが少なすぎたか、多すぎたようだ。