ひとことば

後ろに座席の着いた3輪自転車が、目一杯にめかし込んだ女の子を乗せて通り過ぎる。

チェンマイ 南の国の北の方

チェンマイのフラワーフェスティバルは、看板に偽りがない。名前どおりに、街中が花だらけになる。

カラーフィルムはこの街で考え出されたのかと思いたくなるほどに、色がとりそろえられている。色覚検査をされているみたいな、品のない見せびらかしではないのがいい。

ドレッシングをかけた生野菜のように、ほどよくしんなりした華やかさを振りまいている。花でぐるぐる巻きにされた山車を一日眺めていても、色に疲れてしまうことはなかった。


自動車を花でグルグル巻きにした山車から、美人が微笑む。花に埋もれたわずかな穴から運転手は前を見る。

祭りには終わりがあるから、祭りで居続けられる。次の日、チェンマイはいつもと同じになっていた。なんの余韻もない、南の国らしい潔さだ。

潔いチェンマイに、往生際の悪いぼくは、祭りが終わった後も長居を続けた。それにしても、チェンマイは写真映りの悪い街だ。カメラを持ち歩くのもやめてしまった。


赤茶けた城壁の前を、赤いピックアップトラックの乗り合いタクシーと、オレンジ色のシャツを着た自転車タクシーが過ぎる。壁にとけ込みそうな感じ。

祭りには華をたくさん使うこの街の人たちが作ってきたものには、地味な色が多い。金色の寺院がやけに威張っているクルンテープとは大違いで、目立とうとしているものはいない。

旧市街を赤土色そのままの城壁が囲んでいる。地面から退屈しのぎに生えているだけのようで、存在感がない。目立たなければ商売にならないはずの乗り合いタクシーまでも、城壁に溶け込みたがっている。


ピンクのブーゲンビリアが日陰をつくる民家の庭先。

無理に飾らなくても、色なら庭先で拾えばいい。黙っていても花は咲いてくれる。

暖かいけれど、太陽に襲いかかられたような暑さは、季節を感じさせるためにやってくるだけだ。まぶしくて、しかめ面をしている南の国も、北の方ならまるい顔をしている。

どおりで美人が多いわけだ。なにかと理由をつけては、バンコク経由の航空券を手配した。わずかな時間でもこの街までやってくることが、まったく苦にならなかった。