チェンマイのフラワーフェスティバルは、看板に偽りがない。名前どおりに、街中が花だらけになる。
カラーフィルムはこの街で考え出されたのかと思いたくなるほどに、色がとりそろえられている。色覚検査をされているみたいな、品のない見せびらかしではないのがいい。
ドレッシングをかけた生野菜のように、ほどよくしんなりした華やかさを振りまいている。花でぐるぐる巻きにされた山車を一日眺めていても、色に疲れてしまうことはなかった。
祭りには終わりがあるから、祭りで居続けられる。次の日、チェンマイはいつもと同じになっていた。なんの余韻もない、南の国らしい潔さだ。
潔いチェンマイに、往生際の悪いぼくは、祭りが終わった後も長居を続けた。それにしても、チェンマイは写真映りの悪い街だ。カメラを持ち歩くのもやめてしまった。
祭りには華をたくさん使うこの街の人たちが作ってきたものには、地味な色が多い。金色の寺院がやけに威張っているクルンテープとは大違いで、目立とうとしているものはいない。
旧市街を赤土色そのままの城壁が囲んでいる。地面から退屈しのぎに生えているだけのようで、存在感がない。目立たなければ商売にならないはずの乗り合いタクシーまでも、城壁に溶け込みたがっている。
無理に飾らなくても、色なら庭先で拾えばいい。黙っていても花は咲いてくれる。
暖かいけれど、太陽に襲いかかられたような暑さは、季節を感じさせるためにやってくるだけだ。まぶしくて、しかめ面をしている南の国も、北の方ならまるい顔をしている。
どおりで美人が多いわけだ。なにかと理由をつけては、バンコク経由の航空券を手配した。わずかな時間でもこの街までやってくることが、まったく苦にならなかった。