ネパールのいなかの旅の食事はいつも、豆のスープと野菜カレーの「ネパール定食」だ。野菜カレーの味付けはインド料理にくらべると香辛料が効いておらず、物足りない。いやになるほどヘルシーな食生活である。
ゴルカという町で泊まった宿の客は、私も含めて3組。商人風のネパール人と、ドイツ人の考古学者夫妻。ドイツ人夫妻の方は、ネパールの食事がよほどお気に召さないらしく、常に自炊をしている様子だった。
名ばかりだが「ホテル」を名乗るその宿には、これもまた名ばかりな「レストラン」がある。雰囲気と不釣り合いに立派なメニューは、英語とネパール語の両方で書かれている。メニューを見て食事を注文するのは久しぶりだ。ビールを1本頼み、ヤクのマークのたばこをふかしながら、料理を選ぶ。
普段はとりたてて肉を食べたいなどと思うことはないが、「ネパール定食」ばかりの生活を1週間も続けると、さすがに動物性タンパク質が欠乏してくる。今日は肉を食おう。決心は固い。
メニューを見ると、マトンカレーやチキンカレー、水牛のステーキなどがならんでおり、どれも一番高い方の値が付けられている。長らく肉を受け付けていない胃袋だから、マトンや水牛は遠慮して、チキンにする。たばこを1本吸い終わったところで、係を呼んだ。口には出さないものの「今日は肉を食うぞ、金ならあるからな、ガハハ。さっさと注文取りに来い!」という気分だ。
ところが、大船に乗ったつもりになって注文をすると、「Today No Chicken(原文ママ)」だという。なんということだ。せっかく一番高い方のメニューを頼んでやろうというのに...マトンも水牛も、今日は終わったと言われてしまった。
ふーん、そうか。今日は疲れている。疲れた体にいきなり肉はよろしくないということであろう。明日は用意できると言っていたし、今日はがまんしよう。そのかわりにビールをもう1本と、サモサをつまんでから、ネパール定食で食事を済ませた。
そして次の日。朝のうちだけだったが、マナスルの山影も拝むことができた。幸先のよいスタート。昼飯は相変わらずネパール定食だったが、今日は肉を食える日だ。人間将来に希望があれば、がまんもできるというものである。ネパール定食をいつもよりおいしくいただけた。
夕方、宿のレストランに入る。レストランの従業員とも顔なじみになったので、とりとめのない話をしながらビールを1本やる。よく冷えていてうまい。あっという間に1本目は空になった。勧められるままに、2本目を注文する。彼の言うところでは、今日はチョプシー(固ヤキソバ)を用意できるという。「去年泊まった日本人はこれが気に入っていたぞ」などと言いながら、しきりに勧めてくる。たしかに、酒のつまみには非常に魅力的な一品である。
しかしである。私は昨日から「肉を食う」という決心を固くしており、いかなる誘惑をも排除して肉を食わなければならない状況にある。注文を決めかねていると、さっきの従業員は厨房に入っていってしまった。
「よもや、先走った考えを起こしたのではあるまいな、おぬし...」ひょっとすると、すでにチョプシーの調理に取りかかるよう指示してしまったかもしれない。お酒もだいぶん回ってきており、私の想像力は頂点に達していた。厨房をのぞき込む。おやおや、なぜか気まずい表情だ。厨房をのぞき込むことはネパールの社会規範に反することだとでもいうわけか?「チキンカレーを頼みたいんだが...」。
「Today No Chicken(またもや原文ママ)」。この宿はどうしても肉を食わせない気らしい。「もしや私の財布の中身が疑われているのでは」とも思ったが、尋常ではないビールの勘定は軽くチキンカレーの値段を超えている。仕方がないので、すでに材料の野菜が切りそろえられていたチョプシーを注文する。
出されたチョプシーは「山盛り」だった。日本の中華料理屋で注文する固ヤキソバの、ゆうに2皿分くらいはある。こいつと格闘していたら、3本目のビールはすっかりすすまなくなった。残してしまったビールはレストランの人にお裾分けすることにした。
残り物のビールを一気に飲み干した彼のことを、今でもときどき思い出す。悪いことをしてしまったのかもしれない。