ベトナムでもカンボジアでも、日本の中古車は大人気だった。サイゴンから「横浜市営バス」でプノンペンへ向かう。
治安はまだ安定していない。「横浜市営バス」は誰もいない荒野に札びらをまきながら、国道を飛ばした。安全な通行を約束してもらうため、「ゲリラ」に払う賄賂である。
湿潤な土地だとばかり思っていたカンボジアの大地は、乾いていた。じっとりとした猥雑さが心地良いサイゴンに、引き返したくなった。
プノンペンの街は通りに名前がなかった。いや正確には、通りの名前は番号になっていた。
馴染めない。そして、味気ない。加えて真っ平らで、まっすぐな通りばかりだ。ありきたりの名前でいいから、街に息を吹き込む名前を付けてやりたくなった。
雨の降らない季節なら、簡単に日差しを遮るだけで気持ちのよい日陰ができるこの街。思いのほか明るい市場の人たちに出会って、ようやく安心した。
日差しを遮る傘の下には、屈託のない、よく笑うひとびとが待っている。
暗い時代を生きてきたこの国には似つかわしくない...申し訳ないが、そう思ってしまった。この笑いもはかなく消えてしまいそうな気がして、心配でならなかった。
ぼくはこうして日本から、日本の水準では学生の小遣い程度の金を手に、この国へやってきた。そして、好きなようにこの国を旅している。
明日はアンコールワットへ向かう手配をしてある。1日あたり100ドルもかかる、「大名旅行」だ。
プノンペンには国を離れていた国王も帰ってきて、要人を乗せた車を頻繁に見かけた。黒塗りのリムジンと警護の車列が通るたびに、広い道路は遮られる。
この土地の人々の、ただひとつの欠点-従順で善人すぎるという欠点-が早く克服されることを願うばかりだった。