ひとことば

うまそうな...

ヘビースモーカーだと思われることが多い。ここ数年「2日で1箱」のペースをほとんど崩していないのに、心外である。

最近はたばこを吸うというだけで、全人格を否定しようとするやかましい方々もいらっしゃる。こういう方々については、「まあ、そういう考えもあってもよかろう」と構えることにしよう。しかし、「1日3箱」を自慢げに語る超ヘビースモーカーのみなさんにも、「そんなものは吸っているうちに入らないぞ」などとお叱りを受ける始末で、どうにも肩身がせまい。

このような「不遇」をかこっている理由をいろいろ考えてみたのだが、どうやら「うまそうに吸う」というのが、最大の原因らしい。あまりにもうまそうに煙を吐くせいで、たばこを吸っている様子がいつまでも残像のように残り、結果、ヘビースモーカーであるという烙印を押されることになるようだ。

私の場合、「ゴハンはうまそうに食べ、酒はうまそうに飲む」というのを、「人生の指針」(大袈裟だな、相変わらず)としている。たばこを吸うのも同様であり、できることならうまそうに吸いたいと考えている。

ところが、嫌煙家の方々にとっては、たばこはコソコソと、身を小さくして吸うものであり、うまそうに吸うなど、もってのほかであるらしい。一方、「超ヘビースモーカー」のみなさんは、たばこは身体の器官の一部であり、また、思索のための道具であるから、うまそうに吸っているよう見せるヒマがあるくらいなら、1本でも多く吸うべきであるという考え方のようだ。

中国では、出された料理を全部平らげるのはマナー違反らしい。「料理を催促している」と受け取られるそうである。うまそうな食いっぷり、飲みっぷり、吸いっぷりが、どんなふうに見られていたのか、ときどき気になる。