ローマ劇場
古くから歴史に痕跡を残してきた街ではある。しかし、歴史の「主役」になることはいつも叶わなかった。
現代の旅人たちにそうされているのと同じように、ただ通り過ぎられるだけの役回りだ。それどころか、誰の注意も惹かず忘れられていた時代がずっと続いた。
この街が世界史に思い出してもらえたのは、19世紀になってからのことだ。
露天商も整然と
その背景にも、輝かしい物語があったわけではない。オスマン帝国が露土戦争の難民を住まわせるために開発したことがきっかけだった。
帝都イスタンブルから遠いこの地は、難民を体よく閉じこめておくのに好都合だったといえるかもしれない。故郷を想う難民がうっかりロシアに楯突きでもしたら、瀕死のオスマン帝国にとって命取りになりかねない、そんな政治の判断を想像した。
この街にカイロや、イスタンブルや、エルサレムのような重々しさはない。
アヒルとガラの悪い男
散らかっていて、生々しい呼吸が聞こえてくる光景には、なかなか出会えない。少し前に滞在していたカイロのように、腹を立てて人を怒鳴りつけることもない代わり、大声で笑うこともない。
ようやく歩道の人並みにおかしな流れがあるのを見つけた。ガラの悪い男がアヒルを売っている。本当にガラの悪い野郎だ。
しかし、売っている商品が不釣り合いすぎる。このガラの悪い男が、愛おしそうにアヒルを客に手渡すのを見て、身体中の力が抜けてしまった。
看板に閉じこめられたエルサレム
ヨルダン川の向こう側からやってきたパレスチナ人は、この国の元の人口を上回る。が、この国を治めていたのは「生き残りの名手」だった。
よくも空中分解しなかったものだと感心した。あまり誉められない政策もしてきたが、周りの状況を考えれば、この国があるということだけで十分な実績だ。
今もまたこの街は、退屈で、つまらなくて、しぶとい脇役を演じている。