ブダペストに付けられる修辞句は、女性的なイメージにつながるものが多い。「ドナウの真珠」も「ドナウの女王」も、やはりそうだ。
しかし、大陸らしくゆっくりと流れるドナウも、ランドマークの建造物も、やけに男っぽい。女王や真珠はいったいどこで見つけられるのか、詰問したくなる。
ドナウに沿ってならぶ分厚くて重心の低い建造物が、河を行き来する船にこの都を見せつけている。
いくつも架かけられた石と鉄の橋は、ドナウを遮ってこの街に何もかもを止めようとしているようだ。
水はゆっくりと黒海に向かって流れている。その一方、1992年、ドナウの上流は人の手による運河でラインと結ばれて、水は北海まで続くようになった。
夏のブダペストに、遅い夜がやってきた。夜景もやはり、男っぽくて無骨だ。
のっぺりとした暗い水面は昼間以上にドナウを広く見せ、19世紀まで両岸がそれぞれ別の街だったことを納得させる。
夜が更けるにつれ、ただでさえ緩慢なドナウの流れが一段と遅く感じる。
社会主義が終わるずっと前から、ハンガリーは市場経済を試してきた。この国はドナウの流れのように、ゆっくりと動く。
それでいて、オーストリア国境の鉄条網を撤去し、社会主義に「とどめ」を刺したのもハンガリーだ。大人しいようでいて、隠している棘は鋭い。
ドナウの畔には、都心のすぐ近くとは思えないほど静かな並木道が続いている。女王と真珠の隠れ家は近くにありそうだ。