トリアーのシンボルは黒い門「ボルタ・ニグラ」だ。ローマの時代からこの街を見守っている。
彼の時代には栄えた街だそうだけれど、今はささやかな観光地だ。ツアー客が大挙して押し寄せるようなことはない。
ルクセンブルグから2両編成のかわいいディーゼルカーでモーゼル川を辿ってゆく。大学時代の恩師が住んでいなければ、ぼくもわざわざこの街を訪ねることはなかっただろう。
マルクスの生家はトリアーにある。戦後の日本では学生運動が華やかだったけれど、その時代を生きてきた人々にも、この街の名を知る人はわずかなようだ。健全なのか、冷たいのか、わけが分からない。
彼の生家は博物館になっている。掛けられたささやかなレリーフが、この家の意味を静かに語っている。訪問者は決して多くはなさそうだ。呼び鈴を鳴らして、普段は閉じられている玄関を開けてもらう。
ローマの名残を目にできるほかは、「規格どおりのドイツの街」だ。マルクト-広場-を中心に、商店街が広がっている。
大都会ではないトリアーでも、広場にはいつも人が集まる。迷ってしまう猥雑さはなくて、生活するにはちょうどよい大きさの街だと思った。
なにをするにも、どこへ行くにも、マルクトを通る。小さな路地にトルコ人や中国人の店を見つけた。昼飯はこういう店にしよう。
マルクトの真ん中に、パラソルのかかったスタンドが鎮座している。モーゼルのワインを楽しませるためだ。マルクトを通るたび、ここで油を売る。
夏休みとはいえ、平日の真っ昼間からネクタイをした客がワインをなめている。難しそうな顔をしているけれど、まじめなのか、いい加減なのか、つくづく分からないのがこの国らしい。
ローマの名残のあるこの街で、旅の予定を小アジアまで伸ばす決心をした。