人民服ばかりの時代が終わったのは、大都会だけではなかった。少数民族はこぞって、民族衣装を纏いはじめた。
なかでも雲南には、北京語しか分からないことが悔やまれるほどの少数民族が暮らしている。市の立つ日には、色とりどりの品物とともに、華やかな民族衣装が集まってくる。
カラフルな衣装が目立つ中で、麗江を中心に暮らしているナシ族の民族衣装は地味だ。しかし、瓦屋根がならぶ街並みに似合うのは、この藍染めの色だ。
華やかさはないけれど、藍染めの色は暮らしの中に継ぎ目なく溶け込んでいる。よそ行きの衣装ではなくて、普段着なのだ。
麗江を流れる水路で青菜を洗うときの仕事着も、もちろん藍染めだ。濁った水が跳ねて、藍染めには小さな水玉模様ができている。
汚れているのではない。藍染めと、それを纏った暮らしが、生き生きと繰り返されていることの証左だ。博物館の展示物ではないのだ。
夕方には、ナシ族の演奏会が催される。小さな観客席と演奏者は、滑らかにつながっていた。
漢民族のけばけばしさはない。しっとりとした時間をすごさせてくれた演奏会は、いつの間にか始まって、いつの間にか終わった。
穏やかだ。しかし楽器の音色は、数千万人が犠牲になって、何もかもが抑えつけられていた時代をも、くぐり抜けてきた。
演奏会の翌日、出演していたおじいさんを訪ねる。瓦屋根の続く古城-麗江の旧市街-にある住まいは、想像どおりだった。
あくせくするでなく、適度に散らかった家で、その日の出来事をありのままに受け入れて暮らす。おおよそ東洋人にしか理解できそうにない、安らかな懶惰の説の世界がそこにあった。
どのような時代でも生き残ることができるのは、こういうしなやかさだ。