トルファンからカシュガルへ向かうバスは、オアシスの街に立ち寄りながら、2泊3日かけて溶けかかったアスファルトの上を走っていく。
バスの乗客すべてがトルファンからカシュガルまでを通して旅するわけではない。途中で降りる者、バスを止めて乗り込んでくる者、いろいろである。バスの始発点、トルファンから旅を続ける乗客は、切符を持ってバスに乗ってくる。一応「座席指定」になっている。しかし、途中から乗ってくる乗客たちは、バスに空きスペース-必ずしも「空席」というわけではないのだ-があれば乗ってくるというシステムだ。
どこの誰ともわからない客をひろう。車を止める決断をする運転手の度胸もたいしたものだと思うが、すでにバスに乗っている客の方も、気が気ではない。相手は武器を持ってバスをねらう「強盗」かもしれないのだ。途中で拾った客が居場所を見つけ、バスが動き出す。しばらくは、なんともことばでは言い表しがたい緊張感が漂う。
気温は摂氏50度近く、長袖の方が楽に感じるほどの日差し。ポンコツバスのエンジンが突然止められる。風切り音が聞こえるだけの静かさ。前に進む力が尽きると、バスは路肩に止まる。
なんでこんななにもないところで止まるのか、理解するのにだいぶん時間がかかった。バスのくたびれ具合を考えると、「2度とエンジンがかからなくなる」ことだって可能性の低いことではなさそうだ。
しかし、砂漠の真ん中で止まることには、途中から乗ってきた乗客からの「料金の徴収」という、死活的な問題がかかっていたのである。ここなら「取りっぱぐれ」は絶対にない。すごい「知恵」だ。
こんな圧倒的な「売り手市場」だが、大陸の人々はなかなか厳しい。そう簡単に料金を払おうとはしないのである。無理のないことだ。途中からの料金なんていうのは、ほとんど運転手のハラひとつで決まる「言い値」なんだから...。
こうして、料金の回収にはいつも手間取る。風が入らなくなった止まってしまったバスの中、気温はぐんぐん上がる。のどが渇くが、水筒の水にも限りがあるし、第一ぬるい。トイレも心配だ。
どうにも耐えられなくなったころ、自転車に乗ってアイスキャンディー売りのおばさんが現れた。地獄に仏を見たような思い。生水(生氷?)は危なそうだが、がまんできずに買ってしまう。うまい。食べ終わるころには、もめていた料金の回収も終わり、バスはまた動き出した。「おばさんありがと、またね」。
しかしそれにしても、あのアイスキャンディー売りのおばさんがどこから現れ、そしてバスが去った後どうしたのかという謎は、未だに解けていない。